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世界のミフネ、ハリウッドの星に

 一度見たら決して忘れられない強烈な存在感をその男はスクリーンに残した。世界で「サムライ」と聞けば、彼の名を思い浮かべる人も多いかもしれない。  三船敏郎は日本映画史の中で、もっとも有名な俳優の一人だろう。1947年に映画デビューし、以降、黒澤明監督の作品に数多く出演したことでも知られる。「世界のミフネ」と称され、戦後間もない日本で、黒澤とともに国際的に評価された数少ない日本人のうちのひとりだった。  三船がスクリーンに投影したサムライ魂は世界中の映画人をも魅了した。「スター・ウォーズ」シリーズで知られるジョージ・ルーカス監督は、同シリーズの騎士オビ=ワン・ケノービ役に三船をキャスティングすることを切望したという。しかし三船は「日本の武士道をコミカルに描くのは」と悩み、オファーを断ったという。あの往年の仏俳優アラン・ドロンも自身が作った香水「サムライ」は、三船をイメージして作ったそうだ。  三船の迫力、特にその目力は凄まじかったと思う。黒澤は三船をこう評したという。「特攻隊上がりの、肩幅がひろくて、いなせで、しなやかな野獣のような男」と。  そう、三船はかつて特攻隊に所属していた。19歳で徴兵され、戦争末期には熊本県の特攻隊基地に配属された。少年航空兵の教育係として少年たちを訓練し、特攻に送り出すのが任務だったという。父親が写真館を営み写真の知識があったことから、彼らの遺影を撮ることも任されていたとか。  スクリーンで世界中の人々を魅了した三船だったが、彼自身の目(スクリーン)には、特攻で散った少年たちの笑顔が、終生焼き付いて離れなかったのではないかと思わずにはいられない。あの目力は壮絶な思いを背負ってきた者だからこそ出せた凄みだったのではないかと。  ある人は言う。三船は敗戦で沈みきった日本に現れた希望の星だったと。その星は14日に映画の都ハリウッドの「ウォーク・オブ・フェーム」にその名が刻まれる。日系では早川雪州、マコ岩松、ゴジラに続く殿堂入りとなる。  特攻の少年たちは遥か昔、遠い空の上で星となり、三船はこの地で星となって、これからも互いに輝き続けることだろう。【吉田純子】

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