「ウオーク・オブ・フェーム」:三船敏郎さん、ハリウッドで殿堂入り
三船敏郎さんの星形プレートがハリウッドの「ウオーク・オブ・フェーム」で披露された。写真は式典に出席した息子の三船史郎さん(中央)と孫の三船力也さん(左から2人目)
俳優の故三船敏郎さん=享年(77)=の殿堂入りを祝う式典が14日、ハリウッドの「ウオーク・オブ・フェーム(名声の歩道)」で行われた。三船さんの息子の三船史郎さん、孫で映画プロデューサーの三船力也さんらが出席する中、名前が刻まれた星形プレートがハリウッド・ブルバードの歩道で披露された。【吉田純子、写真も】
式典に出席したジョン・カジ氏(左)とアカデミー賞俳優のマーティン・ランドー氏
三船さんは「羅生門」や「七人の侍」、「用心棒」など、故黒澤明監督の作品に数多く出演したことでも知られる。黒澤監督とともに海外でも評価され、1961年には「用心棒」、65年には「赤ひげ」で、ベネチア国際映画祭の主演男優賞を受賞した。
この日のために日本から訪米した息子の史郎さんは「父の名前が刻まれてとても光栄に思います」と喜びをかみしめた。「スクリーンの中の父は豪快で暴れたりしていましたが、家ではとても静かでいい父親でした」と話す。一方で、映画そのもののように、侍らしさが現れることもあったという。「父はお酒が好きだったので、飲むとたまに映画のシーンのように、侍のような豪快さを見せてくれたりもしました」と亡き父との思い出を振り返った。
ドキュメンタリー映画「ミフネ ザ・ラスト・サムライ」を制作したスティーブン・オカザキ監督
孫の力也さんは、「祖父が亡くなって19年が経ち、今こうして再認識されていることを誇りに思います。初めて国際的に通用した日本人俳優だったので、偉大な俳優だったと思います」と話す。
「家でテレビを見ている時も姿勢が正しく、子どもの僕と話す時でもどすのきいた声で話し掛けてくれたことを思い出します。家でも侍のようでした」と話し、祖父の栄誉をたたえた。
同商工会議所は昨年6月に三船さんの殿堂入りを発表。三船さんはウオーク・オブ・フェームに名前が刻まれた2594人目のスターとなる。日系では早川雪州、マコ岩松、ゴジラに続く殿堂入りとなった。
式典には俳優のマーティン・ランドーや、ドキュメンタリー映画「ミフネ ザ・ラスト・サムライ」を制作したスティーブン・オカザキ監督、日系女優タムリン・トミタらも出席した。
三船の名前が刻まれた星形プレート
Comentarios